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エリリア(Elyria 、イリリアとも表記)は、アメリカ合衆国オハイオ州北東部に位置する都市。クリーブランドの西約40kmに位置し、同市の郊外都市の1つとなっている。人口は54,533人(2010年国勢調査)〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.〕で、エリリアに郡庁を置くロレイン郡の中では北西に隣接するロレイン市に次ぎ、オハイオ州全体でも第14位である。エリリアを含むクリーブランド都市圏は207万人、広域都市圏は350万人以上の人口を抱えている〔。 市名は創設者であるヒーマン・イーライ(イーリー、Heman Ely)に因んでおり、「リア」の部分はギリシア語名のイリュリアから来ている〔Gannett, Henry. ''The Origin of Certain Place Names in the United States''. p.118. U.S. Government Printing Office. 1905年.〕。 == 歴史 == エリリアは1817年、エリー湖に注ぐブラック川の河畔に、ヒーマン・イーライによって創設された〔Elyria, Ohio . ''Ohio History Central''. Ohio Historical Society. 2015年11月29日閲覧.〕。1822年にカヤホガ、メダイナ、およびヒューロン各郡のそれぞれ一部を分割・再編して、ロレイン郡が創設されると、イーライの尽力もあって、その翌々年の1824年に、郡庁がエリリアに置かれた〔How Elyria Became the County Seat . Lorain County Historical Society. 2015年11月29日閲覧〕。 やがて19世紀も後半から終盤に入ると、エリリアは地域の商工業の中心地へと発展し、周辺の農村に住む農民に製品が生産され、サービスが提供されるようになった〔。1900年代には、エリリアの人口は8,000人を超え、市内には電線や電話線が引かれ、レンガ造の中高層建築物が建ち並び、各所を結ぶ路面電車が走った〔Elyria in 1900 . ''History of Elyria: Greetings from Elyria, Ohio''. 2015年11月29日閲覧.〕。また、地元実業家アーサー・ガーフォードは、ヘンリー・フォードに対抗して、自身の自転車製造工場で自動車を製造した〔Arthur Garford . Ohio Historical Society. 2015年11月29日閲覧.〕〔Elyria in 1900: Commerce . ''History of Elyria: Greetings from Elyria, Ohio''. 2015年11月29日閲覧.〕。1916年には、エリリア最初の高層建築物である、10階建て、高さ40.5mのロレイン・ナショナル・バンク・ビルディングが、ダウンタウンのミドル・アベニュー沿いに建てられた〔Lorain National Bank Building . Emporis. 2015年11月29日閲覧.〕。 20世紀中盤に入っても、エリリアは地域の商工業の中心地として、そして近隣のロレインやクリーブランドへの交通の拠点として成長を続けた〔Elyria in 1950 . ''History of Elyria: Greetings from Elyria, Ohio''. 2015年11月29日閲覧.〕。クリーブランドの人口は1950年に914,808人を抱えたのをピークに、既に減少傾向にあったが、エリリアは郊外の住宅地として、クリーブランドから流出した人口を吸収してさらに成長した〔。1967年には、市北端にミッドウェイ・モールというショッピングモールが開店した。しかし、このモールが開店したことで、市中心部の商店はモール内、もしくは近隣に移転したり、閉店に追い込まれたりして、ダウンタウンの空洞化を招いた〔Elyria in 1970 . ''History of Elyria: Greetings from Elyria, Ohio''. 2015年11月29日閲覧.〕。やがて、ラストベルトの他の諸都市同様に、エリリア、ひいてはクリーブランド都市圏全体で、それまで地域経済を支えていた製造業が衰退し、エリリアの人口も1980年に57,538人を抱えたのをピークに、以降は微減に転じている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エリリア (オハイオ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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